TOP ● 高千穂の神話と伝説

高千穂という地名の由来


天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)という神様が二上の峰から、千穂の稲を抜いて手もみして籾(もみ)にし、四方に蒔いたという伝説に拠ります。
釈日本紀 巻八・万葉集注釈巻第十   
ひむかのくにのふどきにいはく、うすきのこおりのうち、ちほのさと、あまつひこひこほのににぎのみこと、
日向の国の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪の郷、天津彦々火瓊々杵尊、
あめのいわくらをはなれ、あめのやえぐもをおしわけて、いづのちわきにちわきて、ひむかのたかちほの
天の磐座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別きに道別きて、日向の高千穂の
ふたがみのみねにあまもりましき。ときに、そらくらく、よるひるわかず、ひとみちをうしなひ、もののいろ
二上の峰に天降りましき。時に、天暗冥く、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色
わきがたかりき。ここに、つちぐも、なをおおくわ・こくわといふものふたりありて、
別き難たかりき。ここに、土蜘蛛、名を大くわ・小くわと曰ふもの二人ありて、
もうししく、「すめみまのみこと、みことのみてもちて、いねちほをぬきてもみとなして、よもになげ
奏言ししく、「皇孫の尊、尊の御手以ちて、稲千穂を抜きて籾と為して、四方に投げ
ちらしたまはば、かならずあかりなむ」とまをしき、ときに、おおくわらのまをししがごと、
散らしたまはば、必ず開晴りなむ」とまをしき、時に、大くわ等の奏ししが如、
ちほのいねをてもみてもみとなして、なげちらしたまひければ、すなわち、そらあかり、
千穂の稲を搓みて籾と為して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴り、
ひつきてりかがやきき。よりてたかちほのふたがみのみねといひき、のちのひと、あらためてちほとなづく。
日月照り光きき。因りて高千穂の二上の峰と曰ひき、後の人、改めて智鋪と号く。

(諸塚村史より)


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